南京事件についての河村名古屋市長の発言が波紋を呼んでいる。
当然のことながら、中国側の対応は、予想できたことであり、河村市長の謝罪ないし訂正がない限りは、この問題に終止符を打つことはないであろう。
ただし、今回の発言に関して、あたかも、河村市長が「南京事件での虐殺行為を否定した」と報道されているが、
はたして、河村市長の真意はそこにあったかどうかは疑問である。
単に、河村市長のお父様が南京で、親切にしてもらったことを強調したいがためだったのかもしれない。
しかし、報道側は、そんな前後の脈絡は飛ばして、報道するので、今回のような騒動になるのではないかと考えられる。
最近、報道側の節操のなさを強く感じている。
あえて言うなら、わざと事件化し騒ぎ立てているのではないかと思われることが多々ある。
河村市長も、大都市名古屋の首長として、発言は気を付けるべきで、この発言が日中間の外交問題に発展してしている以上、強気で突っぱねるのか、謝罪するのか、早急に着地点を探さなければならない。
名古屋圏の産業は、トヨタをはじめ製造業が多く、これ以上の中国との摩擦を望まないと思われることから、日本語と中国語の微妙な言い回しをうまく利用して、どちらの顔が立つように、うまく処理すべきであろう。
それには、当然、報道側が無責任なちゃちゃを入れないことが条件ではあるが。
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結局のところ、こういう感覚の有無に尽きるのだと思う。
「河村市長や橋下市長は、見ていて恥ずかしい」、いやそのあざとさを見るに堪えない。
この世の中に簡単に手に入る自由もなければ、容易に通う理解だってないのだから、彼等がやれば簡単に税金が安くなったり、複雑な歴史を抱える隣国と仲良くなるわけでもないし、維新が起こるわけでもない。
だから公的人物というのは、歯切れが悪いくらいの慎重さが必要だ。
本人よりもその周囲に群がる人間で判断できる。
維新の会や、あの若くしてリクルート事件にかかわった党首を戴く党がすり寄る人物に期待するということは、とても恥ずかしいことだ。
「民意」というのは残念ながら、こういった人物達を首長にしてしまう程度のものなのだからこそ、慎重さを持たないといけないと改めて感じる。
河村氏を選んだ名古屋市民の思考停止を感じて気味が悪い。