渋谷駅で子どもをけっている母親の動画をFBに投稿したり、


歌舞伎町の路上で集団で大学生が昏倒している写真をツイッター投稿したり、


一見、正義の味方のようにも思えるが、


果たしてそうなのだろうか?


確かに、いずれも事件性があるかもしれないが、


あられもない姿をさらしてしまった女子学生の身になればどうだろうか。


また、渋谷駅の母親も、身元が特定できたと、投稿者が堂々とテレビに出ていたが、


ボカシなしで、ネットにさらされた母親の身になったら、どうだろうか(ちなみに、動画は今現在でもFBで見ることができる→投稿者によると、ネット上で母親探しができれば削除するとしているので、ならば、早く削除するべきだ)?


もし、私が、この母親のダンナだったら、


この投稿者をプライバシーの侵害で訴えるだろう。


今は、簡単に動画を撮影でき、それをネット上に公開できる。


なので、ある意味、一般のヒトでも報道者(ジャーナリストではない=ジャーナリストは報道したうえで、説明したり、解説しなければならない→しかし、今回の投稿者のようにジャーナリスト面、正義の味方面はできる→なので、報道者という)になれるし、


いきなり、報道される側にもなりえる。


しかも、当たり前だが、許可などとっていない。


こんなことが続けば、すべてのヒトが監視者であり、すべてのヒトが被監視者になってしまう。


今回の件は、事件性があるかもしれない。


また、事件であったとして、犯罪性があったとしても、


それを決めるのは裁判所である。


プロのジャーナリストはある程度配慮しているが、


今回のような素人は、正義感のみである。


気持ちはわかるが、他人を安易にネットにさらすことには賛成できない。


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